【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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文芸誌 草囁 合評会批評文④ 2020年5月 H.F

T
冗長
面白いけどしまりがないです
A
総じて大村さんのは、コアがない。全員二番打者とか、ローテーション全員アンダースローとか。
打線ならぬ文線のつながりにかける。
この話に何かエピソードがあればがらりと変わる
だからパラグラフごとには問題ないしやることもやっているが豪快な四番も右うち名手の三番もいない。上から下まで、二番ショート源田。
山川も森も中村もメヒアモいない。

自分の生活をエピソードにしてもいい。これでは説明で終わり。
面白くない。感動しない。また、送りバントか!みたいな。

T
この随筆においては転勤族のことを3行で書けなければならない。多すぎる。転勤族について長く書きすぎる。説明している。自分の気持ちを説明している。

大村さんは頭がいいので全部を説明で書いてします。転勤族についての思い入れがシンプル過ぎるのも気になる。

僕は全国に支店を持つ某量販店に勤めている、いわゆる転勤族だ。

 転勤族というと、マイナスイメージが付きがち。引越しは大変で生活環境はその都度激変する。

☞今どき誰でも知っている

しかし、本来、楽観的な性向なのだろうか、僕は会社の金で全国を旅行させてもらっていると思っている。大変どころか、楽しい気ままな転勤ライフ。
☞ああ、そうですかとしか思わない

 入社して26年。静岡県浜松市から始まり、神奈川県大和市青森県弘前市、千葉県四街道市青森県青森市、再び千葉県四街道市と、五回の引越しをした。

☞どこだ?そこは、としか思わない

僕は全国に支店を持つ某量販店に勤めているので必然として全国転勤の可能性をもついわゆる転勤族だ。

転勤族を26年もやっているのであちこち行ったものだ。あれこれと思い出ばかり増えたが その中でも、二度にわたって転勤先となった青森県は特別だった。


 これだけで導入は十分すぎる。千葉に二回いったとか読者には全く興味がない

森への思い入れ、それは一人の老人の記憶に重なるのだった。

一気に斎藤さんの話を書けばいいいのである。

そうすればすんなりその世界に入れるのに最初に細かく転勤族としての感想という別のものを書くからややこしくなるのだ


僕は転勤族だ。
 しかしだからこそ、様々な人と出会い、様々な人の生き様を見てきた。それは間違いなく僕のかけがえのない財産であり、生きている「証」に違いない。
 これから定年まで12年。まだまだ新しい旅行先で新しい出会いがあるだろうと思うと期待で胸が膨らむ。日々の仕事の疲れも和らぐのだ。
これを書いたのが25歳の若者ならへえ、がんばれと思うのだが
こんなシンプルな感想しか持たないものだろうか
本音を隠して格好をつけてないだろうか
どこもかしこも素晴らしいのか
あほ呆け貸す間抜け死ね
と思った人々もいるだろう
現にクレームの客に雪の日にいったとか書いてたはずだ
そんな体験は感想からは割愛されている


5回転勤するということは
5つの街、5つの住所、5つの家、5つの人間関係、5つの朝の風景、あたかも5回人生を経験するようなものだ、それほど転勤というのは風景を変えるのである。

とだけ書けば読者はすべてを理解する。作者の生の感想ほどしらけるものはない。

そんな風景の一つとして青森県の斎藤さんがある、というような構成にすればはまるのにぶつ切りであり、ぶりの刺身をカッターナイフできってしまったようなちびちび感になってしまっている
大村さんは散文はうまいが詩はいまいちという海部氏の見解だったが鳴り響く言葉をそっと置いてあとは読者がそれを演奏する、という仕掛けを作れないからそうなるのだと思います。
もうこの筆力は十分です。文学めざすならこの文章で、30枚以上のまずは短編を書くことです。30枚書ければ100枚も書けます。5枚はひとつらなりの文章でもかけるけど30枚はちゃんと構想を練り、起承転結かあるいは起転承結、などがなってないと読めません。

ぜひ30枚の短編を書いてください。
転勤日記
というタイトルならシャーロックホームズもののように、30枚を10件でもつくれそうですね