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自作の小説 「お別れに第8話最終回」:猫の村の物語

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最後の日が来た。

 その朝、ミルはいなかった。ミルはいつも母の枕元に寝そべり、母が起きたら一緒に起き上がり、母について階段を下りて行き、餌をもらうという習慣だった。ただ時々はボス猫に呼ばれて広場に行ったり、子猫を連れて散歩に行ったり、理由は分からないが二、三日いなかったりもするので、その朝もミルなりに特別の日なのだと思った。ただずっとここ最近は母の足元にくっつきまくっていたので最後の日にいないというのが不思議だし、顔をみてちゃんとお別れするまでは出発は待ってもらおうと思った。

 引越しトラックが来るまで、ぼくは家の前の広場をぶらぶらした。

 十二年間毎日見てきた銀杏の木の前で止まり、幹を撫でた。

 この木のまわりで季節を追った。春は新緑がまぶしく、夏には蝉を探し、秋には舞い落ちる無数の銀杏の葉の上を歩き、冬には裸の枝に力強さを感じた。



 お別れの日に、銀杏の木を下から見上げると空に向かって伸びる一本の道に見えた。

 空が果てしなく高く見えた。この道を知らなかったと反省した。いや、今まではこの道を自然に歩いていたのだと思い直した。これからはこの道を自分の力で思い出し、自分の力で忘れないようにしないと、この道は消えてしまうのだと直感的にわかった。それは、モーターボートの疾駆する海上で、空と海の青の中で、先生が言った「自分でいろ」に通ずるものがあるような気がした。つまりまっすぐに自分へと続く道がいつもあるのだと思った。

 敵対するグループの奴らがやってきた。

 最後に皮肉でも言いに来たのかと思った。彼らはぼくと同じように銀杏を見上げた。ぼくらは幹の周りをぐるりと取り囲むような形になった。誰も何も言わなかった。敵対していても同じ体験をして来たのだ。トラックが来るまでぼくらはその天に続く道を眺め続けた。



 荷物を出して、いよいよぼくらも車で出発することになった。ミルとの別れが残るばかりになったとき、隣のおばあさんが珍しく表に出て来た。そしてミルが天敵であるおばあさんに抱っこされていた。ミルは自分の新しい巣のためにおばあさんの病気を治し、おばあさんの心の中に分け入っていき、おばあさんの祖霊たちとともにその心の泥を掬い取り、忘れていた清々しい水を流し込んだのだった。

 ミルはしっぽをピンと伸ばしてぼくらに達者で暮らせと力強くメッセージをくれた。ミルの再出発のために五匹のボス猫たちが集まって来た。また彼らは村の支配について末永く協定を結ぶのだろうと思った。彼らに宿る父祖の霊たちは、いつまでもいつまでも村の中を循環するのだ。



ぼくは中学生活に向かって出発した。兄が何に向かって出発したのか、ぼくはずっと後になるまで考えたこともなかった。そのときぼくは、自分のことと亜季の思い出で一杯だった。そしてそんなぼくをミルは微笑みながら見守ってくれていた。

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