【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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自作の小説 境界の村:猫の村の物語  お別れに  第5話

文学創作 小説 詩 ポエム エセーのためのカフェ

          海の光景を見下ろす二人・・・・・

承前 


 それらすべてが午後の輝きの中に浮かんでいた。亜季の姿の背景に浮かんでいた。亜季がそこにいたからこそ覚えている景色だった。ぼくの村から見る海とはやや違う、人々の生活の在り方もやや違う、別の歴史と血の流れの世界だった。



 亜季はにこにこしてぼくをみていた。

 笑うときは口元が少し開いて両方の八重歯がちょっとだけ見えて、それは笑った時の亜季のチャームポイントで、それはかわいくてかわいくてたまらないものだった。

 ぼくは女の子の笑った時の可愛さが好きだった。それまでに何人か好きになったがみな笑顔がポイントだった。笑顔には全てが出るんだと思っていた。一度兄にそのことを言うとガキ、と一言で済まされたのでそのことについては自分の中にしまっていた。亜季が笑うのは好きだった。教室でも運動場でも、ここ半年は亜季の笑ってるシーンを見るためにいつもそばにいた。亜季の笑顔にはいくつかのパターンがあるが、ぼくが一番好きなのは、これからたくさん笑うような雰囲気をただよわせつつ、笑顔を少し通り過ぎて笑いの表情に移った瞬間、八重歯が見えた時だった。その笑顔といつも一緒なら、その笑顔と毎日必ず会えるならどんなにいいだろう、だから結婚するのだろう、などと考えていたのだ。



「何背負ってるの?・・・・・・ええっ!猫?」





と八重歯を見せて陽気に語りかける。ぼくは何か神聖な場を通ってきたようにぼおっとしたのだが、もともとの用事を思い出した。

「神田さんの家、猫も犬もいなかったよね?」

「うん。でもどうして?」

「ぼくね、引っ越すんだ。中学から別府にいくことになったんだよ」

 それほど驚いた様子もなく

「そうなの」としかし社交辞令的にはやや大げさに返事をしてくれた。兄の言ったことを思い出した。ものすごく驚いたら向こうも気があると。ということは、亜季がぼくを好きということはないわけだった。考えてみればぼくが亜季から引っ越すと逆に聞いたら、たしかにものすごく驚く。

 そのことは、もともとありえそうにないことだったから、割と簡単にその場で飲み込めた。

「それで実はね、このミルっていうんだけど、新しい飼い主を捜しているんだ。でさ、神田さんちは広いから飼ってくれたら嬉しいなと思ったんだけど」

 ミルは、籠から首だけ出したあくびをした。もう何度も子どもを産んで、しかもひとり立ちさせてきたミルはぼくら子どもを見下ろすような目つきでチラッと見ては、周囲の、猫族にとっては完全に外国といえる亜季の村を眺め渡した。そして、わたしゃこんな所に来る気はないよと、言わんばかりに再び大きなあくびをした。







 ぼくらは笑った。かなりの大笑いだった。午後の世界の輝きの中で亜季の笑顔が宝石のようにさらにまぶしく光っていた。ぼくはこれだけでいいと思った。

 坂道の上り口に自転車を停めていた。前の籠にミルを入れた籠を載せて自転車の荷台用のゴムバンドで固定してやって来たのだが、ゴムバンドが盗まれていた。まあしょうがないかとミルの籠をのせたが、すっぽりとは前籠には入りきらないのでどうにもうまくこげそうにない。しょうがない、一回帰って明日の下校の時にでも自転車を回収しょうと思っていたところへ、上松先生が通りがかった。

「あれ先生、日曜なのにどうしたんですか」

ガリ版刷りが残っていたから出てきたんだよ。美原くんこそどうしたんだい?」

 ぼくはなにか心内からほのぼのしてきてつい本当のことを言ってしまった。

「そうか、猫をどうするかか。神田はだめだったのか」

「はっきり駄目とは言わないけど、お母さんに聞いてみるって。でもやっぱり、猫にとっては隣村は遠すぎますね」

 それから自転車では帰れないというのがわかると先生は送ってくれることになり、とりあえず学校の中に自転車を置いて、港につないでいる先生の通勤用のモーターボートのところへ向かった。

「いつみてもモーターボートって格好いいですね」

 先生は黙って大きく頷き、エンジンをかけた。モーターが高速で回転する音が響き、ドドドッという爆裂音がする。

「ちゃんと座ってつかまっておくんだぞ」







 ボートは港の中をゆっくりと大きな半円を描きながら移動していく。漁師達は自分達の子どもの通う学校の先生に敬意を表していて、快く港を使わせていた。自分たちも同じ学校に通っていて、その父母も同じ学校に通っていた。その上の世代の時に学校は出来たのだ。人々は先祖代々同じ学校に通い同じ土地で暮らし、教師達とのいつ果てるともない付き合いの中で、子どもが叱られれば、それは恥ずかしいことであり、先生にぶたれて怪我をすれば、それはそれほどの悪さをした証であり、やはり恥ずかしいことであり、周囲からも親父もよくなぐられていたからなとか、母親は優等生だったのにな、とか、学校体験は時間的にも空間的にも共有されていたから、先生というのは、文明開化の西洋人の指導者のように、特別な存在だった。

 ボートは外海に出る。といってもそこは穏やかな河口であり、川向こうの港に先生はボートをつないでいるのだった。そしてそこから十分ほど歩いたところが自宅であり、船で通勤する珍しい先生として、新聞に載ったこともあった。

 モーターボートの爆音とそのスピードに包まれて、さっき亜季の家の前から眺めおろした海を目前に見る。波しぶきが無数に撒き散らされて、その一粒一粒が太陽の光を浴びてきらめくのがわかった。そして青い空と青い海がぼくの世界のすべてであるかのように、遠くの憧れを今まさに抱きしめているかのように、恍惚としてぼくは船の針路に視線を送り続けた。

 「美原!」

先生が叫ぶ。やっと聞こえる。

「はい」

ぼくも怒鳴る。

「何処に行っても自分であり続けること。それはとてもむずかしいことだよ。だから自分であるためには勉強しなくちゃいけない。このことを忘れないでおけ」

「自分を忘れないために算数とか漢字を勉強するんですか」

「途中にたくさんの言葉が入るけど、結論だけ言えばそうだよ。忘れないでおきなさい」

「はい」

 最後にぼくは全身の力を込めてあらん限りの大声を出した。先生の言ってる意味はわからなかったけど、印象深く言葉は記憶に刻み込まれた。亜季と海と光と共に頭の奥深く埋め込まれた。

 ミルが驚いて目を丸くしたがミルはミルでこのつかの間の航海を気持ちよさそうに楽しんでいた。猫族の中で、ミルにまた箔がついたのだろうと思った。 









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