【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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【小説 お接待 】 花祭り 地獄図と観音 マリア様  入れ墨と金星と朝日と海

小説

文学創作 小説 詩 ポエム エセーのためのカフェ

お接待        古荘英雄


*お接待=お釈迦様の誕生日に花祭が行われそれにちなんで甘茶やお菓子などがお接待として振舞われる。この村では子供たちに早朝小遣い銭を渡すのがお接待として続いていた。         

          


 花祭りの日を迎えると、修一は夜明け前の四時には目を覚ましたものだった。

 がばっと起き上がり、前の晩から枕元に用意しておいたジーパンと丸首セーターに着替え、ジャンパーをはおる。顔をいい加減に洗って玄関のドアを、音を立てないように開ける。そろそろ明けの明星が目立ちはじめた空を見上げて、大きく息を吸い込む。朝の生まれる気配をはらむ空気は、ひんやりとして気持ちよかった。

 例年、仲間とは広場の端、比較的大きな路地の筋が交差する地点で待ち合わせている。

 みな、おかしな格好だった。四月にはなったものの、こんな時間はまだ冬の寒さの名残があった。誰もが枕元にすぐに着替えられるような服を適当に置いていて、それをあっという間に着込んで来るのだ。義信などは、パジャマの上からダウンジャケットをひっかけ、その上から合羽を羽織っていた。暖かさを逃がさない、そのくせ簡単に着込むことのできる、よく考えられた素晴らしい取り合わせだと自慢していたが、笑ってしまう。

「みんな来た?」

とリーダー格の小学校六年生のめぐみが見回す。

「有香が来てない、でも有香の家の前を通っていけばいいよ」

と誰からともなく声が出る。

「じゃあ行くよ」

 修一は屋根の上の猫と目があった。きらりとそれは光った。が、時ならぬ子どもたちの集団に警戒するでもなく、すぐにその目は閉じられ、深い眠りに戻ったようだった。



「去年はもうちょっとで千円だったなあ」

と誰からともなく話が出た。

「私たちが一年の時は、千円なんて絶対無理だったけどねえ」

「一番くれるところでも三十円くらいであとは五円とか十円だったからな」

「接待も値上がりしていくのかな」

 

 最初の家の前にいつしか着いた。

 六右衛門と呼ばれる爺さんは一人暮らしだった。銭湯では子どもたちのヒーローだった。浅黒い背中に、年月を感じさせる見事な刺青が彫られ、ぶよぶよした大人たちの白い背中の中でひときわ目立った。そして、普通の人はあんなものはしないのだと、大人達が馬鹿にして言うと、子どもたちはなおのこと六石衛門爺さんが格好よく見えるのだった。

 爺さんは昔、実の兄を殺したという噂だった。子どもたちは信じていなかった。こんなやさしい空気をかもし出す人がそんなことをするわけがない、と確信していたのだ。しかし、実際に爺さんの過去には殺人事件が確かにあって、それは人の心の強さと大きさでは取り戻せない過ちであるが、無限の縁と因果の連鎖の中ではすでに許されたことであった。

「おせったーい」

と第一声をリーダー格の女の子が言う。続いて皆が声を合わせて言う。

「おせったーい」

「ほーい」

と六衛門爺さんがかすかな足音をたてて玄関にやってくる。

 みんな手を出す。爺さんは、そのまちまちの大きさではあるが、すべからく小さな手のひらに十円玉を置いていく。そして一人ずつに丁寧に手を合わせて頭を下げる。皆爺さんに祈ってもらうと清められたように感じる。だから、毎年爺さんの家を出発点にしていた。

 お金をもらうと、爺さんにお祈りを返す。手を合わせて頭を下げる。爺さんも再び手を合わせ、頭を下げる。そして

「ありがとう。今年も仏さんに謝れた」とぼそっと言う。

「おじちゃん、背中見せて」と一年生が言うと

さっと服を脱いで刺青の見事な図柄の背中を見せる。

「このつまらん彫り物にも手を合わせておくれ。ちったあ清められるかもしれん」

そして毎年のように、修一たちは爺さんの刺青を近くでしげしげと眺め、爺さんが後ろ向きということもあって、ろくすっぽお祈りはせず、鮮やかな椿の図柄を目に焼き付けるのだった。

 爺さんはやっぱりいい人だと皆が思いながら、次の家へ向かう。

 どの家も起きていて子どもを喜んで迎えてくれるわけではない。

 だから子どもたちは巧みにその小さな頭の中に、地図を練り上げてそれに沿って最適なルートを歩むのだった。

お接待してくれるかどうかは、信仰深いかどうかということではなく、人柄の問題だった。



皆、自分の地図を持っていた。そして、ルートについても様々な主張が出るのであった。

どこかから流れてきてこの村に住みついた敬一郎と洋二郎の兄弟は一番お金をくれる家から順に回りたがった。

夏のせみ時雨の午後、子どもたちがアイスクリームをなめているときに、二人はかき氷屋の情けでもらった氷を口に入れて喜んでいた。そして、アイスクリームをなめる姿はひと夏に数えるほどしか見かけなかった。

それでも彼らの家に遊びに行くと、食卓の丸いお膳を囲んで、家族六人の賑やかな話し声が聞こえてくるのだった。お金以外のことで不自由することはない家だったのだ。

 その兄弟はある年ルートを巡ってグループ内で孤立し、二人だけで回ったことがある。結果は散々だった。二人では厭われたのだ。そして結局お金めあてに回らないことこそが、終わってみれば一番の稼ぎになるというある種の真理に気づき、その後は波風がたったことがない。

 

 それから、子どもたちにいつもやさしく声をかけてくれる二人暮しのお婆さんのところに行く。

親子であり、娘の方も完全にお婆さんなのにその母親もおなじくおばあさんとして生きているのが不思議だった。しかもその母親は修一の親の世代が子供の時も、すでにお婆さんであったと言うのだ。

 狭いバンガローのような家が、彼女たちの人生のようにひっそりと確かに、しょんぼりと穏やかに、暖かく立っている。

村の中央の大きな井戸の脇にそれはあり、建築されたのではなく、木と石を組み合わせて置かれただけだった。それだけに、そこを通るとき皆しげしげと眺めた。そして、家の前の道で、夕食に海で釣ってきた魚を七輪で焼いている彼女たち(それは毎日の風景だった)は愛想が良く、子どもたちが通るたびに「食べるね?」と聞く。

「食べた奴っているのかな」一年生の男の子が言う。

「いないよ」ときっぱりとめぐみが言う。「食べたらいけないのよ。あの人たちの大事なご飯だから」 

家の前に着くと、すでに玄関の役割を果たす引き戸は開けられ、若い方のお婆さんがにこにこ笑って子どもたちを待ち構えていた。

「せったーい」ここでは最初から一斉に言う。

 一円づつ子どもたちの手にお金が乗せられていく。敬一郎と洋二郎は、以前はこの家には来たがらなかった。時間の無駄のような気がしたのだ。しかし、この家に立ち寄ることは接待という行事に欠かすべからざるものだと、今ではしみじみ実感している。

一人づつお婆さんに向かって手を合わせる。そしてその小屋に向かって手を合わせる。そして、お婆さんに言われて東京にある靖国神社に向かって手を合わせる。そこにいる人と結婚式が終わってさえいれば遺族年金がもらえてて、皆にちゃんと十円渡せたんだけど、と毎年のように言う。村の天神様を百個合わせたくらい広くて立派な神社だと、お婆さんは得意げに添える。そんな神社に祭られているのなら本物の兵隊さんだと、子どもたちは単純に思う。そして、天神様に初詣に行った時の様に東京に向かって手を叩き頭を下げる。

それから、敬一郎と洋二郎のお楽しみの満州帰りの市会議員の家に行く。接待で最初に百円を越えた家で、毎年村で一番お金を払ったかどうかを気にする家であった。実は、少し時間がかかるのだが絶対に外せない家であった。

「あの家のたみちゃんは来ないね」

 そこに向かいながら誰彼となくそんな声が出る。

「接待しなくてもこづかい一杯あるだろうからな」洋二郎が言う。

 めぐみがたしなめる。

「からだが弱いからこんなに早くは外に出られないのよ」

「でもこづかいは多いだろう」

「ランドセルなんか本皮よね」

「重くて雨に弱いって本人は嫌ってる」

「筆箱も高そうよ。自転車もいいのに乗ってる」

めぐみが噂話を終わらせる。

「からだが弱いのよ。夏に海で泳いだのを見たことがないよ」

負けずに敬一郎が最後に言う。

「でも金持ちさ。家に電話があるし。カラーテレビがあるし。車もある」

 修一も電話についてはうらやましかった。船乗りの父から時々電話が来るのだが、それは村の公民館に置かれている村の共同電話で、まず館長が受ける。そしていったん電話を切って、火の見やぐらのてっぺんに取り付けられているスピーカーで村中に向かってアナウンスされる。

「中山さん、ご主人から電話です。ご主人から電話です」

そしてそれを聞いたら急いで公民館に家族で向かう。父親とは2、3ヶ月に一週間くらいの割合でしか会えないから嬉々として急ぎ足で公民館に向かう。そして、到着した頃合を見計らってまた電話が来る。家族一人一人が父親と話しをする。

 そんな修一にとって自宅に電話があるというには、未来の家のように垂涎の的であったのだ。

 めぐみが言う。

「ここのおじさんは戦争で右腕が動かなくなったのよ。それなのに人一倍がんばって市会議員になったんだから。自分でがんばったのよ。運が良くてお金持ちになったんじゃないんだから、色々言わないの。それにたみちゃんは心臓に穴があるんだって。たみちゃんのせいじゃないんだから色々言わないの。たみちゃんは元気なからだと引き換えならもっとお金のない家にでも喜んで生まれたと思うよ」

「でもね」修一が言う。

「生まれる家は神様みたいなやさしい光と相談して自分で決めるっていう人もいるらしいよ。この世は修行だから自分でいろいろその計画をね、生まれる前に練っておくんだって」

 その話は皆に流された。めぐみが「おせったーい」と声を出したのだった。

「おはよう」

とその家のおばあさんがお金とお茶を用意して、待っていてくれた。

「お茶をもらうのははじめて」

とめぐみが言う。

「この子に言われてね」

 たみちゃんが、パジャマの上に厚いカーディガンを着て、みんなにお茶を注いでいる。

「わたしも元気になったらいきたいな」

「小学校卒業まであと三年あるから大丈夫よ」

 みんなお茶を飲んでからだがあたたまり、一人百円づつ受け取りほくほく気分で手を合わせた。たみちゃんも一緒に手を合わせる。そして

「わたしが丈夫になりますようにって祈ってね」と静かに言い添え、皆でもう一度たみちゃんに向かって手を合わせた。



 次の家に向かいながら、そろそろ太陽の気配が染み渡ってきた東の空を見上げて、めぐみが大きく息を吸った。

「うちの妹、もうすぐ顔の手術をするのよ」

「お岩さんみたいに左目をのまわりにできた塊みたいなのを取るの?」

 修一が聞くと、皆が厳しい目でにらんだ。お岩さんみたいなの、は禁句なのだった。

「ごめん」と素直に頭を下げる。

 めぐみは答えず東の空のかなたに目をやる。

「本人が気にし出したのよね。小学校に上がる前には、ってお母さんが言ってた。おとうさん、あてにならないからね」

めぐみの父親は、大阪に出稼ぎにいったきり浮浪者になって公園に住み着いているという。ただ音信だけはあり、二、三年に一度帰ることもあった。結婚前に占い師から、不幸になるからやめたほうがいいといわれたのだが、好きだったから結婚したということだった。その母親の気持ちをめぐみは素敵だと思ったし、夫がいなくてもその時の自分の選択に責任を持って仕事にせいを出す母親がいれば、愛情に不足はなかったが経済的にはもっと楽になれたのにという考えから父親を恨んでいた。特に妹の生まれつきの顔の塊のためにその気持ちが強くなった。

次の家は猫とお婆さんの二人暮しだった。ミル、という名前の猫にはいつもきれで作った赤い首輪がかけられ、いつも新鮮な魚を餌として与えられ、他の猫より明らかに太っていた。すっかりお嬢様扱いのミルは気が弱く、修一の家の猫がちょっと脅す素振りをすると、一目散に逃げるのだった。

「おせったーい」

「はーい」

お婆さんはたくさんの五十円玉を猫の餌用の食器に入れて用意していた。

「ちゃんと洗ってるからきれいだよ。ミルからもよろしくいいたいのでね」

毎年このせりふから始まる・

「うちの孫も大阪で接待があればいいのにって言ってるんだよ。もう十歳と七歳なんだ」

 ただし、息子は離婚しており、孫達は奥さんが引き取ったから、お婆さんが孫に会うことはない。生まれた頃はこの村にも何度か帰ってきたことがあるが、今は年に一回、父親あてに来た写真と手紙が転送されて来るだけだ。

「また肩を揉みに来て上げるね」

修一が言うと、お駄賃くれたらぼくらは毎日でも揉んで上げると敬一郎と洋二郎が言う。

「そうしてくれたらありがたいねえ」

と取引は以外なことに成立してしまった。

 五十円玉をそれぞれ手にして、お婆さんに手を合わせる。お婆さんとミルが神妙に頭を下げる。



 東の空が明け染めてきて、もう金星しか見える星はない。皆で上を見て歩く。

「今年は最高記録が出そうだな」

だれかれとなくそんな声が出る。

「きれいよね。日が出るまでの空」

「ぼくは接待の日にしか夜明け前の空を見たことがないよ」

「ほかのグループの連中は調子はどうかな」

「今年はまだ誰ともすれ違ってないね」

 猫たちはゆっくりと屋根の上で起き上がる。

「あくびをしてるね。気持ちよさそう」

「のんきよね」

「でも時々必死に逃げないといけないし」

 めぐみが言った。

「あと三十分くらいよ。まわろう」

 子どもたちは着々とお金を増やして行って最高記録を更新しそうだった。

 最後の家で十円づつもらってさあ合計を数えようと皆が立ち止まった時、東の空から来る光線をふさぐように大きな影が突然現れ、子ども達にゆっくり近づいて来る。立ち止まると、懐からまだ真新しい立派な札入れを取り出した。めぐみは一瞬父親と同じ匂いを嗅いだが、異なる声が聞こえた。

「ほら、接待だよ」

 その男は皆に千円づつ配ろうとした。皆唖然として男を見た。そして、この破格な接待を受けるべきかどうかめぐみの顔を見た。めぐみは両手を合わせて受け取った。皆それにならった。

「じゃあな」

男は東の方に歩いて行って隣の村へ峠を上っていった。皆唖然としていた。

「誰?」

「通りがかりの人よ。通りがかりの人からはいくらもらっても良いって言うよ」

「でも、こんなに大金、どきどきするな」

 敬一郎は顔をこわばらせていた。

 修一は敬一郎と洋二郎が何の迷いも泣く千円札をしまい込むのだと思っていたので、初めて見る敬一郎の裸の心をほほえましく思った。この兄弟はお金が欲しいのではない、必要なものが欲しかっただけなのだ、そのことに気づいた。

 男はマグロ漁船に半年乗って来た。そして故郷の村を歩いた。得意げに。お接待の相場も頭に入っているこの男は、子ども達に大きな混乱を投げ込んでやろうと気まぐれを起こしたのだった。今日は、幼馴染の静江にプロポーズするために帰ってきた。子どもの頃からろくでなしと言われて、女の父親にお前になど娘がやれるかと言われて、マグロ漁船に乗り込んだのだった。

 花祭りの甘茶を一杯振舞ってもらってその勢いで静江を訪ねるつもりだった。



東の空、それは今や海の上の紫色のスクリーンとなり、美しく光を湛えており、その光が子ども達の歩く細い道に鮮やかな視界を作っていく。

「もう菜の花が咲きかけてるね」

「満開になるころ学校がはじまるんだよな」

「桜も、ほら」

 皆小さな桜の木のちらほらと咲いている桜を眺めた。村の中には何ヶ所かに桜の小さな木がある。川向こうにある市役所に隣り合う公園から、かつて六衛門爺さんが苗木代わりに何本か盗んで来て勝手に植えつけたそうだ。それらの桜はおおらかにその犯罪性は無視され、人々は単純にその美を愛でたのである。

「草の色が緑色になったね」

「雑草でしょう」

「雑草でない草ってあるの、花みたいにひとつひとつ名前があるの」

「草は冬でも緑でしょう」

 とりとめもなく子ども達は話をする。

 皆が颯爽と歩き始めた時、一番年下の由美子が叫んだ。

「海から湯気が出てる」

 海面から水蒸気が立ち上っていた。今、うっすらと水平線にわずかに形を見せる四国の筋から昇ったばかりの太陽に照らされ、何事が起こったかと思わせるほどの荘厳な絵巻に、子どもの目には映るのだった。

「冬に学校に行くときは、朝時々見るよ。由美ちゃんもこれから六年の間に何回もみることになるよ」

 修一がやさしく言った。


 水蒸気はゆったりと海面のあちこちで湧き上がる。風はほとんどなくその場で煙のように立ち込める。何度か見たことはあってもそのたびに圧倒される。そして、あることに思い当たった者はさらに自然の営みに圧倒されるのだった。それは、目には見えてないが、実は海面からはいつもこのように水蒸気が立ち上っているのだということだ。気温と水温の関係でたまたま見える時があるというだけなのだ。いつも気づかないところで巨大な力が働いている。その実感はじつはそのことに気づかなくても、この村で過ごす者は子どもから大人まで、無意識にからだが感じ心の地形に影響を与える。潮の満ち引きも月の引力という人間からすれば壮大な力が働いた結果であるし、それで言えば地球の引力太陽の引力も常に影響を与え続けている・・・・・・

「私はこれで接待は終わりね」

めぐみが言った。来年からは中学生になるのだ。それは村の子どもにとって、一つの元服だった。

 しばらく、みなそれぞれに思いを巡らせて広場から寺へ向かう。




 広場と寺の境目の二十メートルほどのゆるやかな坂を上り、寺の正面入り口の石畳の道に着く。ちょうどおばあさんの一段が花祭りということもあって、いつもより一時間早く寺に入ったところだった。

 婆さんたちの合唱が始まる。お経はくぐもった声でしかし同時に何かを吐き出すようなすっきりした感があり、それでいてやはり老女の声であり、六十年前にあった声は天空のかなたであった。爺さんたちは寺には来ない。爺さんたちはどこで何をしているのだろうか。

やがて寺に行き地獄絵を見ながら甘茶を飲む。地獄の闇に光り輝く観音様は幼稚園にあったマリア様の像に良く似ていると、毎年のように思うのだった。



寺ではばあさん達が長い数珠を十人くらいで回しながら般若心経を唱える。大きな玉が自分の所に来るたびにそれを額に持ってきて拝む。花祭りといってもそのばあさん達にとって、毎日の般若心経と何ら代わるものでもなかった。ただ見学の若い者に、拝むということはどういうものか見せ付けてやろうという気概に溢れていただけだった。

あの二人暮しの婆さんたちは大きな玉が来るたびに皆と違うやり方で頭上にかざす。それは靖国神社の方向なのだと和尚が言う。寺と神社は仲間なのですかと、誰か子どもが聞く。そうだ、神様と仏様はみな友達だ。だって神様たちが喧嘩するわけないよね。と別の子どもが言う。あの戦没者専用の十の墓は靖国神社の出張所みたいなものかと和尚に聞いたら違うという。ついでに注意を受けた。

「おまえたち、あの墓の端から端まで墓と門を飛んで行って速さを競ってるみたいだが、そろそろやめた方がいい。石も古くなっていつ崩れるかわからんぞ。それにお前達の中でも子どもの世界の言い伝えがあるだろう。墓飛び中に落ちたら三年で死んでしまうとな」



寺の中には地獄絵が二十枚近くかけられていた。毎年のこの日のためにもう数百年も保存されてきたのだった。子どもたちはこの地獄絵が好きだった。修一は毎年穴の開くほど見つめた。死んで罪人と判決をもらった者たちの受ける刑の残虐さには目を覆うものがある。真っ暗の背景。赤い舌、閻魔の赤い衣装、赤い炎、赤い熱湯、赤い肌、赤い血、やせ細った肉体、白い髪、苦痛にゆがみ泣き叫ぶ顔。それらを助けるために端っこに光り輝く観音様。観音様がいなければこの絵はどぎつすぎた。しかしなと、和尚はいつも言うのであった。

「現実の世界には観音様はやってきてはくれないよ。観音様、観自在菩薩はお前達の心の中から立ち現れてくるのだよ」

 その理屈は毎年、子ども達には全く受け入れられなかった。皆観音様は空から降ってくると思っていた、あるいはそう思いたかった。

修一はやがてこの村を離れることになる。もう二度とあのような土地は見つからなかった。後年、訪れはしたもののそれはもう抜け殻みたいなもので往年を偲ぶものは何もなかった。


あのお経とお接待の信仰心はどこへ行ったのだろうか。そして、戦死者を祭る盛大な墓場は。今頃シリウスあたりの宇宙空間に生きた映像の光として、さらに宇宙の奥に向かって飛んでいるのだ。