詩
BY 古荘英雄
イタリアへ旅発つジョン・キーツを思い描いて
無垢な少女の口元から血があふれ、有機体とは思えぬほどに透き通る真っ白な口元に、一筋の真紅の流れが生まれる。それは命そのものでありながら人の目に触れたとたん死神そのものに変わる。
こぼれ出て、赤い唇をさらに染め上げるそのもののこの世ならぬ美しさにわたしたちは戦慄を覚えるのだ。
だれもが忌みきらうほどの美しさを規則正しく言葉で編み上げ、時の海に浮かべ、どこへたどりつくかはわからぬが、海流がかなたへと運ぶことだけは知っていた。なぜならば信じることが出来たのだ。
自分の宝石のような詩が潰えることはないのだと。
この自分とは神の至急の用事で天に戻る天使なのだと。
諸世紀の海原を果てしなく漂えるほどの言葉の束を、体中に巻きつけていながら二十六歳にして、婚約後半年の浮世の喜びの最中で、不治の病という「神の至急の使者」が訪れる。一族は多く肺を病み、医師の修行をした彼自身誰よりも、この肺が命の営みを回復するのは不可能だと知っていた。モハヤコレマデ。彼は断念し、決意し、恋人と別れ、名ばかりの静養のためイタリアへ旅立つ。
ブリテン島の気候と離れたとしても、死から逃れる術はないとわっていながら、恋人を また すべてを手放し、自らの内部空間だけを引っさげて、イタリア経由で天国へ向かったのだ。
彼の心はわからない。イタリアへ旅発つ前夜のことをわたしは知らない。だがそこにある普遍の心情は察するに難くない。背景が変わっても、そこにある体験の核は、くっきりと浮かび上がっている。
そして、その死の炎からさらに舞い上がる彼の詩句はこの世から生まれたものではない。呼び戻される天使は、天上のリズムを置いていくのだ。そもそも天国からの脱走者が、逮捕され護送されたのかもしれない。
人には美しすぎる言葉を蒔いた罪で。
神の言葉を無断で使用した罪で。
わたしはキーツの写真を見て想像するのである。
若くして死んだ吸血鬼のような天才たちが、もしも熟成を迎える稲穂のように、生命の頭が地に向かって垂れるほどに長い長い時をその心に蓄えたら、たとえばキーツ八十歳の筆が示すものは、ホメロスやインドの叙事詩のように、一人だけで民族の神話を造り出してしまったのではないだろうか。 種族全体を象徴するような叙事詩が、苦も無く出現してはまずいのだと、早々と呼び戻された彼ら。彼らはその破片を垣間見せるだけなのだ。
キーツは死の直前、天井に花園を見たという。