日本は宗教的記憶喪失に陥っている |無神論と答えながら宗教的行為のオンパレードな日本人
神を信じていないし 今や仏も信じていない 無神論だというだろう
かくして宗教とは無縁の国柄だと多くの日本人が思っている
どの国よりも多い宗教行為
日本人の宗教行為を列記してみよう
①お正月の初もうで
②普段の時から神社にお参りしてお賽銭を入れる
③お葬式を上げる 本当に無神論なら火葬して海に捨てればよい
④法事までありその都度お経をあげる
⑤戒名に何万円も何十万円も払う
⑥お墓詣りを頻繁にする
⑦家に仏壇があって毎日お供えして祈る
⑧家に神棚があり毎日お供えして祈る
⑨日本にある寺社仏閣と教会の数は全ヨーロッパの教会の数に匹敵する
⑩神社も寺もどこにでもあると言っていいくらいあって 地蔵も入れると
神と仏のいない場所がない
⑪NHKの行く年来る年は国民的番組だが あれは日本中の寺と神社と教会からの現地レポート である
参考記事→ NHKの行く年くる年を見ながらつぶやいたこと
⑫特に大きな初もうでに至ってはあたかもイスラム教徒がメッカのカーヴァ神殿に熱狂して群がるように10万人以上の人がお参りに訪れている
⑬天皇陛下への心ばえは宗教的心ばえだろうと思う そして正月の参賀はローマ法王に向かってカトリック信者が歓声を上げるかのように天皇陛下に向かって万歳をする
⑭まだまだ数え上げればきりがない
日本人は信仰心の塊でありないのは教義への記憶だけ
外国人からみれば
となる
ところがそう言われたら日本人は
いえ、あれは儀式ですから
いえ、あれは儀式ですから
と答えるのである
しかし、実はその儀式をなぜ日本人はするのか?
深く言語化されていないのである
いや 本当は言語化されていたのだ
神社に商売繁盛のため、子宝に恵まれますように、
病気の回復、などなどで数万円、数十万円払う人はざらだ。
葬式にぼーさんにお経を読んでもらい、戒名をつけてもらい、
遺影をとり、初七日、49日、初盆、その後の法事を間違いなく平均的日本人はするのである。
病気の回復、などなどで数万円、数十万円払う人はざらだ。
葬式にぼーさんにお経を読んでもらい、戒名をつけてもらい、
遺影をとり、初七日、49日、初盆、その後の法事を間違いなく平均的日本人はするのである。
これらのことの意味を
もともとはよく知っていてなぜするのかを
心と魂のレベルで言えていたのである
その言葉が失われて 行為が儀式だけが残ったのである
宗教的記憶喪失の正体|儀式だけが残った日本人
神社の場合は 教義の上ではそもそも神道に西洋文明的な教義はない
祝詞はある。
寺の場合は漢字の音読のお経を聴いても意味がわからに
しかしあれはキリスト教の数倍にも及ぶ大乗仏典の
経文を唱えているのである
つまり
宗教に対して日本人は
その教義は忘れて教育としても教えることがない
が
その宗教的行為はそのまま千年前から続いているようなことを継続しているのである
日本文化の根源に唐が絶大な影響を与えている、
忘れたが日本語の漢字の熟語の1/10だかそれ以上だかは仏教用語である。
そして、江戸期までは住民票の代わりは人別帳。
仏教公伝以来の天皇は仏教徒であり、
神道の儀式より仏教が大事だった。
明治政府は多くの錯誤を現代に与えている。