【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

シュテイィフターの晩夏についてのFB投稿から

 


晩夏について。1.

ちなみにぼくのYouTubeチャンネルをきっかけに晩夏を読んだ方がいて、最近読了したとのメールをいただきました。イギリス在住でドイツ語で読んだとのことで!!!!って感じで驚きました
僕は動画では、古びた温泉宿に長期逗留しているときに読む小説ですと言ったのですがその方は、まさにそんな感じで読んでいたく感激され、印象が収まり切れないからもう一度読む予定とのことでした
これはリルケの賞賛の言葉の中に、あなたがまだ時間というものを持っていなければ、この作品には時間があるからそこにひたるとこの世界がわかるでしょう、と書いていたのを日本的に俗っぽく古びた温泉宿で読むと言ったものです

晩夏について 2.
晩夏にはほぼ物語がない、なので退屈と言われるのですが、それは私たちが晩夏のリズムに調律できないまま読むときに起こることです、ロック音楽を聴くつもりで、マーラーを聴こうとすると退屈です。
私たちの日常のリズムのまま晩夏の世界に入るとリズムが違うって止まって見えるからつまらない。、鳥を使ってバラ園の昆虫を取り除くときの鳥たちの描写などを、もしそこに没頭して読むとそれは薔薇の館の庭をリアルに味わう体験となりますが、ロックのつもりで読むと、長く退屈な描写にしかすぎません
この小説はみずからはリーザハ男爵、ハインリヒ、マティルデの精神に調律し、その世界をはたから読むのではなくその世界の一員としてその世界を味わう時に、はじめてニーチェリルケやマンの言った、作品の真の姿が見えて来るのです
そしてそうなるとこの作品以外にこういう小説は存在しないのでもう一生手放せなくなるのです

善しか書かれていないという評論もあります。人間の光の面だけで書いているから現実と乖離しゆえに退屈になると。確かに明暗の織り成す光の綾こそが物語ですからその通り。
これについては瞑想を考えるとわかりやすい。瞑想をするとき悪のイメージや不幸なイメージ、人を避難するイメージ、過去のネガティブな思い出を敢えて見ようとする人はいません。あらゆるマインドフルネスは、ニュートラルに心をチューニングするメソッドです

晩夏は、人間精神のニュートラル化によっておこる、いわば瞑想的読書体験です
人間の悪は、そう考えると本来の人間の姿ではない
これはヒマラヤの山奥でひとりきりで瞑想しているときに悪人はいないという話と同じで、市場にもどって多数の他人とかかわることで悪が発生するので、人間がひとりのときは悪も善もない
ゆえにこの作品は善だけで書かれたのではなくて、ニュートラルな人間像を書いているのです。
それを担保するものとして古代ギリシャ精神が重きを置かれています

以上だらだら長文を失礼しました。あまりに好きな作品なのでつい書いてしまいました