【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

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彼の名は監督|広岡監督にそっくりな先輩の思い出

 ❝彼の名は監督❞ ①

 わたしの大学時代の先輩に「広岡監督」そっくりの人がいた。
 広岡監督というのは巨人の名ショートで長嶋と三遊間を守り、のちにヤクルトを初優勝に導き、西武黄金時代の礎を築いた名監督である。
 サークルに入りたての時に、全員ひとりひとり挨拶して、みんな気の利いたジョークを狙っていろいろ言ってたが、それは成功も不成功もあったのだが、彼の順番になると「広岡です」と言っただけで爆笑の渦が起こった。
 それ以来、みんなで彼のことを「監督」と呼ぶようになった。
 監督は堅実な人で、バイトをするにも勉強するにも就職するにもそつなくこなしていて、みんなが広岡監督の代名詞となっていた「管理野球」をもじって「管理バイト」とか「管理試験勉強」とか「管理就職活動」とか言って、とにかく監督が何をやっても何を言っても、それが真面目であるほどに笑いを取るのだった。
 今考えれば人徳ある人物だったのだろうと思う。

❝彼の名は監督❞ ②
監督とは学校を卒業しても時々酒を飲んだりしたものだ。彼は千葉の人で自分も当時千葉県に住んでいたからだ。
一度、津田沼駅近くのサウナに行ったとき、監督は一人でのぼせてダウンしたことがあった。監督にも弱いところがあるのだと思った。
というのも監督はランニングを趣味としており、生涯を通じて走り続けた。ジョギングではなくて趣味でマラソンに出場するほど走るのが好きだった。
50歳くらいのときにも、九州の別大マラソンに一般参加で出場し、テレビにその雄姿が映っていたと聞いたことがある。
そう、監督は全生涯にわたって走り続けたのである。
昨年56歳の若さで他界した。突如すい臓がんになり、癌発見の2週間後、あっという間に亡くなったのである。一番健康で一番体力もあったのにと、とても衝撃を受けた。
遠方に住んでいることもあり、葬儀には出なかったが、友人から伝え聞いた話だと、奥さんは出棺のときに「また、会おうね」と泣きながら何度も言われたそうである。
私にとっては遠い学生時代の思い出の人だが、初対面のとき「広岡です」と言って皆を爆笑の渦に巻き込んだあの人柄を偲んで一筆したためた次第である。