それは例えて言うと、
ゲーテの詩集を一切読まずに、知らずに
タッソーやエグモントを書いた作家ですと言うようなものです
それはそれで偉大な仕事ですが、しかし詩のないゲーテって
まるで違ったイメージになると思いませんか?
そして夏目漱石という作家について私たちが持ってる印象というのは
まさにこの詩を書かないゲーテ像なのです
以前も書きましたが
平安時代以来、漱石に匹敵する漢詩を書いた人は室町五山文学という大山脈だけだったと
古井由吉さんは断じています。
漱石漢詩集というのも出版はされてますが、研究者でないと読まないと思いますし
その多くは、漢詩の研究であり味わうための本ではありません
ネットで検索しても学術本みたいなものばかり。
YouTubeで検索したら4つありますが、そのうち二つはぼくの動画です(笑)(笑)
そもそも私たちはもう漢詩を味わえないのです
たとえばゲーテ全集があったら第一巻は「詩集」が定番です。
ではないでしょうか?
これが漱石全集第一巻が「漱石漢詩集」になるとすごいことだと私は思うのです。
思想的葛藤や深みは、萩原朔太郎、三好達治以上ではないか?とさえ思えるのです。
10月21日 無題
天を失った私の歌
私が天の法と理を見失うとき
「大愚」という古来よりの真の理をも
やはり見失うのだと 私は知った
道をつかんだと思ったとたん
道は私から離れてしまう
聡明であればあるほどこの世では心は死んでいくのだ
逆に魔界では正義は生き延びていくものだ
人の心とは人間界と魔界において反抗するように作用するのだ
黄金の剣ならば
地に投げ捨てても美しい音色を立てる
夜光の珠なら宙に砕け散っても光り輝く
しかし私は
投げ捨てられ砕け散ったら何もない
ただ一人長く涙をたたえてたたずむことしかできない
そんな私の心の姿は
両親を亡くして泣くことも忘れて呆然と立ち尽くす幼子のようだ