投資に失敗して財産を失った中年男性の話
こんな話があります。
ある中年の男性が、投資に失敗して全財産をすってしまいました。
その人は絶望に襲われて、こう考えました。
馬鹿げた投資をしたために、もう妻からは軽蔑され子供たちからも口を聞いてもらえなくなるだろう、友人たちからは煙たがられて、やり直すこともできないし、人生の半ばで取り返しのつかない失敗をしてしまった。
ここで整理をすると
まずこの話で事実とは何か?
投資に失敗して全財産を失ったということ。
これだけです。
赤文字の部分はみな、事実ではなくてこの男性の見解です。
妻や子供たちから永遠に軽蔑されるわけでもなく、
そもそも「失敗したのね、これを踏み台にがんばって」と言われるかもしれません。
そして友人たちも仕事を回してくれたり、多少の資金援助をしてくれるかもしれません。
なにより、取り返しのつかない失敗ではありません。他人事として読むと、あきらかにそう思いますよね。
財産をなくしたあと、再び財を築いた人はたくさんいます。
こんな風に事実と見解は違うのです。
わたしたちは事実にこそ注目して、見解は生きやすいように変えることが大事です
たとえばこんな事実があったとき、どんな見解を持てばいいでしょうか?
- 仕事から解雇された →〇〇〇〇〇
- 事故で大けがをして長期入院することになった→〇〇〇〇〇
- 恋人にふられた、熟年離婚した→〇〇〇〇〇
- 上司におこられた→〇〇〇〇〇
- 部下がいうことを聞かない→〇〇〇〇〇
- 大きな失敗をしてクレーム対応することになった→〇〇〇〇〇
- 仕事がうまくいかない→〇〇〇〇〇
- 年をとった→〇〇〇〇〇
いかがでしょうか?
たとえば上司におこられた、であればよくあるのが
「また失敗して、延々と注意を受けて半ば怒鳴るくらい上司は怒っていた、いやだなあ、失敗したくてやってるわけではないんだから、あそこまで言わないでほしいなあ、そしてこんなつまらない仕事は早くやめたいなあ」
これは見解ですから、別の見解ももてますね
「誰でも100%ミスをしないことはない、今回は不注意だったがこれでおこられたから印象に残って同じミスはしないですむだろう、仕事には失敗はつきものだから上司の叱責もつきものだ、それにひるむことなく自分の信念でこの仕事に取り組もう」
同じ事実でも
これだけ違う見解が生まれるのです。
上の事例に現在自分が該当していると、ネガティブモードになるものです。だからあらかじめ、それが起こってしまう前に、冷静な状態で自分が望む見解を書き留めておくととても効果的です。
感情的に追い込まれた時に、自分は本当はこう考えているというのがわかって安心感が生まれます。
最終的には、なにかの事実がおこったとき、自動的に前向きなエネルギーが生じるような見解が頭を満たすようになれば、生きていくのがとても楽で充実してきます。
*SSI社のプログラムとジェームズスキナーの著書より参照
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