今手元にないから大まかな数字だが、私は平成5年から読書の記録をノートに書いている。
もう27年が過ぎた。
記録の内容は、読了の日付と本の名前、作者の名前程度の走り書きで、たま~に内容や感想を書いている。
一冊のノートの2/3くらいしかまだ使っていない。
一番すごいと思うのは、普通のノートがすでに27年捨てられずに存在していることではないかと思っている。
さて、このノートを読み返すとその折々の人生の出来事を思い出すスイッチになる。日記というのは、なにも出来事の記録である必要はない。なんでもいいから同一カテゴリーのことを記録すれば、思い出のスイッチになるのだ。
だからブログでレシピの紹介や鳥の写真や、庭のガーデニングなどに特化して延々と書いてる人がいるがいい思い出発火装置になるだろうと思う。
現在では私は自分にかかわることは基本的にはすべてWindowsのonedriveというcloudと、グーグルのcloudに入れているので、自分に関わることのすべてにスマホ経由でいつでもアクセスできるようになっている。
が、しかし、だからといっていつでもそれを見たりはしない。むしろやっぱり紙に書いた読書記録やらなんやらをなつかしく読み返すのだ。
これは人間の特性なのか?私の世代の特性なのか?cloudは便利だが自分の手元にある紙に勝るものはない。空襲や火事や泥棒によって失わなければ一番いいが、何が起こるかわからないから一応全部撮影してグーグルフォトに入れてもいる。
あと何ページ分の読書記録を作って死の門をくぐるだろうか?