【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

動画で文学を語る理由

 文学を動画で語るようになって一カ月ほど。

とても面白い。

書けよと言われるかもしれないが、書くのは面倒である

というのは世界の作家や作品についてもし書けば、やはりちゃんと書くからいちいち時間もかかるのである。

それが一回だけのしゃべりになると それも5分で終わる前提にしているから

適当に話せるのだ( ´∀` )

まあそれなりに読んだ内容とか私しか知らないような逸話とか( ´∀` )

そんなことを織り込んで話すので

まじめな文学部の授業のような雰囲気はゼロでだれでも面白おかしく

興味本位で世界文学に触れることができる

ということでやっています

詩の味わい方は深い

 詩の味わい方は深い

トータル的に文芸を書く場所がどこにもなくなったような気がするのであえてここに書きますが。

わたしは文芸誌らむぷで、30代から10年小説修行をした。その話は何度か書いた。

しかし実は詩についてはそれよりも長く、高校2年の時に福岡の「パルナシウスの会」という同人誌に加入し44歳くらいまでの25年あまりを年に4回、詩を投稿発表してきた。詩人というのは現代史手帳に住所登録されたら詩人と名乗ってよいという感じになっていた時代だが、その同人誌には4人の審査員がいて3人反対したら加入できない。

実は私のように高校生で加入できた人はいない。大学生で加入したら早熟だともてはやされたいたから、私の場合は判定不能ということになっていた。(笑)

もっとも大分在住なので合評会に参加しだしたのは歳月を経て、35歳で福岡に引っ越してからだ。その間でも17年、年に4回詩を送り続けた。

運営はこんなふうだった。福岡でも最大規模、最長の歴史を誇り会員は70人くらい。そして年に4回発行で会費は毎月2500円。発行の時にかかわらず、毎月一回合評会があって、最新号からの詩の合評をした。

作品が選ばれる。司会が決まる。本人かその他の誰かが朗読する。そしてそれが終わると5分くらい考える時間があって、その後合評が始まる。で、終わったら、飲みに行く。

小説と違って詩はその場で全員で再びその作品を味わることができる。10人くらいがいつも参加していたが、10人で朗読を聞いて、合評で何か言うことを前提に真剣に詩を耳で聞くのは、Facebookの詩を読むこととはまるで違う体験である。

サブローさんが音読して・・・紙に書いて・・・といつも言うが、実はそれでも足りないくらいだ。詩を他者と一緒に真剣に耳を傾けて味わうというのはこれこそ平家物語ホメロス以来の本来のものではないか。

私は結局77編の詩を発表したことになる。27年間の精神の記録でもあるのでその詩を読めばそのころのことが全部よみがえる。

そんな体験で言えばFacebookに氾濫する詩の山はもちろん素晴らしい詩はあるのだが1つの良い詩に巡り合うために1万のごみのような詩を読まないといけないみたいな感じである。

そもそも横書きの小さな文字で毎日詩を書く人がいるがそんなことは絶対に不可能だ。それはいわば排泄のようなものだ。そんな詩をたくさん読んでそう言ったら書いた人は怒るのである。その反論の文章の方がその人の詩よりよほどうまかった。

サブローさんはネットで人を集めいよいよネットを排した形でリアルな文芸誌を作ろうとしている。本当は会って、朗読会をして詩の合評をやれば詩とはなにかが一発でわかる。一人で読んでも声にだしても越えられない一線が、朗読会はいとも簡単に超える。

詩と小説と両方をやってた人は私の所属したらむぷとパルナシウスの会でもほんの一握りだった。

それだけ難しいのである。小説を書いてる連中は詩なんて書けないというし、詩の連中は小説は難しいというのが普通だ。詩も小説もうまくなりたいというのが、高校生ならいいが、30歳すぎて両方とも書きたいと思うこと自体が不思議だ。表現形式をひとつ極めたらそれで書きたくなるのが普通だからだ。

いままでFacebookでうまい詩を書くと思ったのは二人だけだ。うち一人は岩間さんである。もう人は名前はわすれたがひげを生やした男性がいますね。あの人はうまい。

女性の詩で、詩を感じたことは一度もない。

サブローグループが創作をリアルな同人誌でやるようになるのは素晴らしい話だ。ネット上での文字は相当に熟達した人のでないと排泄してるように見えるからだ。

これがあって朗読するとどんなものでも光るものが見えてくるのだ

私の場合は27年の詩のトレーニングと10年の小説のトレーニングによって言葉の構成が頭に入るようになったが、天才はそういうことが最初からできるのである。そしてそれができてる人はいない。岩間さんの詩に天才性を感じるくらいだ。

さてサブローさんも書いていたが、文学に先生と生徒などあるわけがない。習ったらうまくなるのは文章力だけであり、文学力は本人が孤独のうちにつかむしかない。

自分が自分勝手に書いてそれが人を感動させるのが文学だ。自分勝手に書いてそれを読んだ人から手前みそで自分勝手な文章だと言われるならそれはどれほど文章がうまくても文学力がないのである。

文学力とは、好きなように描いたら多くの人にそれが感動を与えるような、普遍化した精神を持っているということ。でも文学をしたいと思う人はふつうはどこかねじくれたところがあるからこそ文章を書きたいとなるので、自我の主張どまりになる人も多い、自我の主張から普遍化への道は孤独であり自分の魂との格闘であり、どうやって魂とたたかい克服するのですか、教えてくださいというのはあり得ない。

ということで長々と書いてきたが、サブローグループもネットの弊害から脱却し新たな次元に入ったと思うので記念して書いてみた。



ドストエフスキー雑感 HF

 

簡単に楽しむには、貧しき人々。長いけど面白い虐げられた人々。
感動を求めるなら罪と罰
作品の前に、アンリトロワイヤのドストエフスキー伝を読むと圧倒的に理解が深まります。


カラマーゾフは読めば必ず面白いけど、ドストエフスキー慣れして読むほうが震撼とします。


それもただの投獄ではなくて、流行作家ドストエフスキーをはじめ若造どもを政府は懲らしめのために、死刑判決を下し、銃殺に処するということで刑場に連れていかれました。

だから本人はもう死ぬつもりだったのですね。そこで政府は、皇帝の特赦により、死刑を減じてシベリア流刑とする、と発表しました。これは最初からこうする計画でした、政府の方は。でも本人たちは知らないから死刑を覚悟したわけです。
まさに死から生に戻ってきたドストエフスキーはその後のシベリア流刑中、聖書に没頭しました。

なのでこの逮捕前と後で別人の作品となるわけです。
天才的物語作者ドストエフスキーは深みがなくても素晴らしい作家なので初期の作品も面白いですが、生と死と神を正面から取り上げる作品群にはまると、文学とはこんなにすごいものなのかと震撼とします。

ロマンロランのジャンクリストフはとても長いから短いものから読み始めよう


ロマンロラン


ジャンクリストフ
魅せられたる魂
ペギー

素晴らしいフランスの人文主義作家

 

ロシア文学のすべてはプーシキンから始まった

 ロシア文学のビッグバン 天才プーシキン


素晴らしい叙情詩。
そして大尉の娘 スペードの女王 ベールキンの物語。
詩人としても作家としても天才でした