【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフター作「晩夏」

 私が一番影響を受けた本は、普通誰もよまない長編小説です

オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフター作「晩夏」です。

短編集には比較的?有名な「石さまざま」がありますが、どれも珠玉の名品と言えるえしょう、ただしこちらもほとんど日本では読まれません。

さて晩夏は一人の青年が、雨宿りのためにたちよった屋敷で、そこの主リーザハ男爵と知り合い、懇意になり、様々に教えを受けるようになります。ハインリヒは豪商の息子で、将来は自然科学に携わろうと研究をする傍ら、美術にはほとんどプロ並みに関わりますし、古代ギリシャ語でホメロスアイスキュロスを読んでいます。


物語ですが

これが

ありません

まあ一応は膨大な長さの中でやがてリーザハの養女ナターリエと婚約するのですがそこにはなんのドラマもありません。

ドラマ性のある個所と言えば、一か所だけ。

婚約が決まったハインリヒにリーザハが家族になるのだからと、自分の過去を語るところがドラマらしいドラマです。リーザハは若い時の失敗でマチルデという女性を失い、その後、官僚となり執務に没頭し、ナポレオン戦争終結に向けて大いに功をあげ、皇帝の覚えめでたく男爵となったのですが、マチルデと別れた傷がずっととれませんでした。

やがて引退したリーザハの屋敷にマチルデが二人の子供を連れて訪問し、二人は結婚はしないものの、精神的夫婦として老後を送ることとなります。

こう書くとリーザハの物語が綴られているように感じますが、これは全体の1/20もなく、あとは何が書かれているかというと、ハインリヒの学問と美術と古代文学にかかわる日常生活です。

えっつ?

と思うかもしれませんが、延々とそれが書かれているので誰が読んでも退屈と言われ、英訳などはされていないようであり、本国オーストリアでも読む人はいないと言われます。

同じく長編の教養小説であるスイス人ケラーの「緑のハインリヒ」は筋立てもとても面白いし(でもなぜか日本ではほとんど読まれません)ゲーテの「ウィルヘルムマイスター」に至っては世界文学の金字塔です(でもいまどきは読む人も減りました)

ただシュティフターの「晩夏」は評価は高いのです。というのも、リルケがべたぼめしてるし、あのニーチェがほめたたえてるし、そしてトーマス・マンが大絶賛しています。だからやはりいい作品なのでしょう。

私は二回通読し、ほぼすべてのページにラインを引いています。

ほんとにあの世界に熱中したものでした。


自分の中で何か静かに見つめたいものがある人にはおすすめです。

この作品は人間の鏡になり、その人の魂を映し出します。

世の中のざわつきからも、自分自身からも遠く離れて、人里離れた山の温泉宿で1か月過ごす、ような体験ができます。

「晩夏」の世界には入りづらいですがひとたび入ると、もう心の故郷になります。そんなところがリルケニーチェトーマス・マンに受けたのだと思います。


私の場合、いよいよ不治の病で入院したら、病室には必ずこの「晩夏」を枕元に置いておこうと思っています。






作家の書斎の思い出:文学日記

 昔から作家の書斎の写真を見るのが好きだった。

なぜなのかはわからない。

でも人の書斎というか机周りみるのがたまらく好きなのである。

覚えている書斎は


村上龍

夢枕獏

トマスハーディ

ヘルマンヘッセ

トーマス・マン

ヘミングウェイ

宮本輝

芥川龍之介

と言ったところが印象深い。


なかでも一番印象に残っているのは万年筆で書く宮本輝

フィンカビヒアのヘミングウェイである



ところで自分の書斎はどうかというと、家には机コーナーを持っていた、今は一人暮らしになったので自由に書斎空間を作れるがPC空間を持てばその他はどうでもいい時代だからそんなに凝ってるわけではない

でも少し使いにくいが狭くて自由には作れないのが現状だ。

引っ越したい気分は大いにあるがいい場所に住んでるのでそれも難しいところだ。

唐津の虹の松原の写真を撮ったら綺麗だった話

f:id:anisaku:20200624235526j:plain

佐賀県唐津市には虹の松原という松林があり、その海岸を虹ケ浜と言います。

名前負けすることなくほんとにきれいです。

晴れてればこんなに穏やか。

 

この海岸線は魏志倭人伝登場する末盧國に相当するようです。

近くには縄文末期の農耕跡の遺跡もあります。歴史も古いのですね。

 

さて、梅雨があけると夏がきて、この虹ケ浜は海水浴場としても人気です。

晴れた、穏やかな夏休みが来ることを祈っています。

いや、コロナの影響で夏休みってなかったですかね、今年は。

純文学ランキング
純文学ランキング

コーヒーブレイク~朝の脳は昼間と動きが違う

早起きは あらゆる文化で推奨されています。

成功するには早起きしないと無理

そんな意見もあるくらいです

そこまで絶対的なものではないですが

ただ

早起きを習慣としている人に悪い人はあんまりいないような気がします

ビジネス交流会などは多忙なビジネスマンが集めるために

朝の6時からとか 朝の6時半からとか

始まるところもあります

わたしは実はその両方のビジネス交流会に入っているので

週に2回は5時起きです。

BNIと倫理法人会

ご存じですか?

ネットでググると悪口がたくさんありますが

ネットというのはネガティブ情報が膨らむものです。

どちらも真摯に活動する交流会です。

でも今はコロナなので 両方ともZOOMでやっているから

それほど大変ではありません

f:id:anisaku:20200610211348j:plain

家の近くの川辺の散歩道。朝の5時。

やっぱり早朝は気持ちがいい。

これは間違いないですね。

夜でも昼でも思いつかないアイデアも浮かんできます

こんな感じの道が続きます。この道には猫たちもたくさんいます。

実は夜もよく散歩に行くので散歩中に挨拶する顔なじみも多いですが

ところで

早朝、はじめて会った猫がいました

早朝に散歩するとそのときはとても気持ちがいいのですが

一日眠いという副作用もあります

自分の体に相談しながら早朝を楽しむことが大切ですね(笑)

 

 

イメージを拡大させるイメージストリーミングの実践方法 

 

ステップメール:イメージストリーミング実践紹介 読者登録フォーム

 

名詩の紹介:尾崎喜八「夕べの泉」

夕べの泉 
         (Hermann Hesse gewidmet)

                        尾崎喜八

  君から飲む、
  ほのぐらい山の泉よ、
  こんこんと湧きこぼれて
  滑らかな苔むす岩を洗うものよ。

  存分な仕事の一日のあとで、
  わたしは身をまげて荒い渇望の唇を君につける、
  天心の深さを沈めた君の夕暮の水に、
  その透徹した、甘美な、れいろうの水に。

  君のさわやかな満溢と流動との上には
  嵐のあとの青ざめた金色の平和がある。
  神の休戦の夕べの旗が一すじ、
  とおく薔薇いろの峯から峯へ流れている。

  千百の予感が、日の終りには
  ことに君の胸を高まらせる。
  その湧きあまる思想の歌をひびかせながら、
  君は青みわたる夜の幽暗におのれを与える。

  君から飲む、
  あすの曙光をはらむ甘やかな夕べの泉よ。
  その懐妊と分娩との豊かな生の脈動を
  暗く涼しい苔にひざまずいて干すようにわたしは飲む。

                   ヘルマン・ヘッセに)


尾崎喜八は昭和の素晴らしい叙情詩人だ。だがそれほどメジャーではない。信州の美しい自然を歌う詩人というイメージが強すぎるのと(その通りかもしれない)日本語がやや特殊にしつこい癖を感じるからかもしれない。

だが、ヘッセやカロッサのようなドイツ叙情詩人のような詩を日本語で書いた数少ない詩人だ。

この詩は、江守徹が「夜の停車駅」というFMのラジオ番組で朗読したことがあり、そのときの朗読があまりに見事だったのでよく覚えていました。

この詩はヘッセの詩や小説への賛美なのですが、それは信州の自然描写をもとに書かれているのでとても美しい詩作品になっています。

夕日が世界を赤く染めるときに一節を口ずさみたくなる詩です。

文学日記:古典を読書しているときは瞑想状態に入っているという話 HF

最近の、現代の、小説はたいてい読めば面白い。

一気に読んでしまうものもたくさんある。
村上春樹宮本輝、乃生アサ
その他様々な歴史小説や時代小説やミステリー
ほんとにおもしろい

でもそれほどのちのちまで印象が残るかといえばそんなことはないのだ
その場が面白いけどすぐ忘れるという感じ。

その点古典は違う。
逆だ
その場がつまらなくて退屈でもがんばって通読すると
のちのちまで記憶に残るし感動もする
その作用はなんなのだろう。
古典とは時代が変わっても面白いということで残るものという説もある
それはちょっと違うとも思うが
19世紀の
モーパッサンのベラ三や女の一生など今読んでも単純におもしろい
ディケンズモームもみな面白い
19世紀が古典かどうかという問題があるが
一応時を経て評価が定まり価値ありとされるものという定義でいけば20世紀も古典だ

こうした作家たちのものを味わいながら読んでいると
今どきの小説ではあきたらなくなる
文学とは偉大なものだ

名詩の紹介:『一点鐘』三好達治 昔高校の教科書に必ず載っていた昔を懐かしむ詩

『一点鐘』

 

靜かだつた
靜かな夜だつた
時折りにはかに風が吹いた
その風は そのまま遠くへ吹きすぎた
一二瞬の後 いつそう靜かになつた
さうして夜が更けた
そんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……

 

一時が鳴つた
二時が鳴つた
一世紀の半ばを生きた 顏の黃ばんだ老人の あの古い柱時計
柱時計の夜半の歌

山の根の冬の旅籠の
噫あの一點鐘
二點鐘

 

その歌聲が
私の耳に蘇生る
そのもの憂げな歌聲が
私を呼ぶ
私を招く

 

庭の日影に莚を敷いて

妻は子供と遊んでいる
風車のまはる風車小屋
――玩具の粉屋の窓口から
砂の麺麭粉がこぼれ出る
麺麭粉の砂の一匙を
粉屋の屋根に落し込む

くるくるまはれ風車……
くるくるまはれ風車……

 

卓上の百合の花心は
しつとり汗にぬれてゐる
私はそれをのぞきこむ
さうして私は 私の耳のそら耳に
過ぎ去つた遠い季節の
靜かな夜を聽いてゐる
聽いてゐる
噫あの一點鐘
二點鐘

**********************************

 

 
 
動画でもお話しています

 

三好達治は近代日本最大の本格的叙情詩人だ。

中原中也のような癖もない。

藤村のような古文調の575でもない。

立原道造のような女々しさもない。

普通の感性が、深く鋭く普遍性を持つに至った、そんな詩だ。

三好達治といえば「雪」が有名だが

あの2行は俳句のようであり近代詩の雰囲気はあまりない。

私のなかでは三好達治の数々の散文詩も好きだがこの一点鐘がベストですね

 

この詩は若いころに山小屋で聞いた真夜中の1時や2時になっていた柱時計の音を回想します。そのみずからの青春のすべてを山小屋の真夜中の柱時計の音が象徴しているのです。

しかし今やその季節は過ぎて、自分は昼の世界で妻と子と生きていて、子供たちは砂遊びをしている、でもふとした時にいまでも自分はあの一点鐘の音が聞こえるような気がする、自分はあの世界を妻と子に囲まれながらも忘れることはないし、離れてしまうことなどできないのだ、そんなふうな展開を見せるのですが、これはほぼすべての人に打てば響くテーマとして共感を呼ぶでしょう。実に巧みにそのあたりにころの機微が表現されいていると思います。

anisaku.hatenablog.com

詩・ポエムランキング
詩・ポエムランキング