【ブログ版】世界の名作文学を5分で語る|名作の紹介と批評と創作

YouTubeチャンネル『世界の名作文学を5分で語る』のブログ版です。世界と日本の名作紹介と様々な文学批評 そして自作の詩と小説の発表の場です

コーヒーブレイク~朝の脳は昼間と動きが違う

早起きは あらゆる文化で推奨されています。

成功するには早起きしないと無理

そんな意見もあるくらいです

そこまで絶対的なものではないですが

ただ

早起きを習慣としている人に悪い人はあんまりいないような気がします

ビジネス交流会などは多忙なビジネスマンが集めるために

朝の6時からとか 朝の6時半からとか

始まるところもあります

わたしは実はその両方のビジネス交流会に入っているので

週に2回は5時起きです。

BNIと倫理法人会

ご存じですか?

ネットでググると悪口がたくさんありますが

ネットというのはネガティブ情報が膨らむものです。

どちらも真摯に活動する交流会です。

でも今はコロナなので 両方ともZOOMでやっているから

それほど大変ではありません

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家の近くの川辺の散歩道。朝の5時。

やっぱり早朝は気持ちがいい。

これは間違いないですね。

夜でも昼でも思いつかないアイデアも浮かんできます

こんな感じの道が続きます。この道には猫たちもたくさんいます。

実は夜もよく散歩に行くので散歩中に挨拶する顔なじみも多いですが

ところで

早朝、はじめて会った猫がいました

早朝に散歩するとそのときはとても気持ちがいいのですが

一日眠いという副作用もあります

自分の体に相談しながら早朝を楽しむことが大切ですね(笑)

 

 

イメージを拡大させるイメージストリーミングの実践方法 

 

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名詩の紹介:尾崎喜八「夕べの泉」

夕べの泉 
         (Hermann Hesse gewidmet)

                        尾崎喜八

  君から飲む、
  ほのぐらい山の泉よ、
  こんこんと湧きこぼれて
  滑らかな苔むす岩を洗うものよ。

  存分な仕事の一日のあとで、
  わたしは身をまげて荒い渇望の唇を君につける、
  天心の深さを沈めた君の夕暮の水に、
  その透徹した、甘美な、れいろうの水に。

  君のさわやかな満溢と流動との上には
  嵐のあとの青ざめた金色の平和がある。
  神の休戦の夕べの旗が一すじ、
  とおく薔薇いろの峯から峯へ流れている。

  千百の予感が、日の終りには
  ことに君の胸を高まらせる。
  その湧きあまる思想の歌をひびかせながら、
  君は青みわたる夜の幽暗におのれを与える。

  君から飲む、
  あすの曙光をはらむ甘やかな夕べの泉よ。
  その懐妊と分娩との豊かな生の脈動を
  暗く涼しい苔にひざまずいて干すようにわたしは飲む。

                   ヘルマン・ヘッセに)


尾崎喜八は昭和の素晴らしい叙情詩人だ。だがそれほどメジャーではない。信州の美しい自然を歌う詩人というイメージが強すぎるのと(その通りかもしれない)日本語がやや特殊にしつこい癖を感じるからかもしれない。

だが、ヘッセやカロッサのようなドイツ叙情詩人のような詩を日本語で書いた数少ない詩人だ。

この詩は、江守徹が「夜の停車駅」というFMのラジオ番組で朗読したことがあり、そのときの朗読があまりに見事だったのでよく覚えていました。

この詩はヘッセの詩や小説への賛美なのですが、それは信州の自然描写をもとに書かれているのでとても美しい詩作品になっています。

夕日が世界を赤く染めるときに一節を口ずさみたくなる詩です。

文学日記:古典を読書しているときは瞑想状態に入っているという話 HF

最近の、現代の、小説はたいてい読めば面白い。

一気に読んでしまうものもたくさんある。
村上春樹宮本輝、乃生アサ
その他様々な歴史小説や時代小説やミステリー
ほんとにおもしろい

でもそれほどのちのちまで印象が残るかといえばそんなことはないのだ
その場が面白いけどすぐ忘れるという感じ。

その点古典は違う。
逆だ
その場がつまらなくて退屈でもがんばって通読すると
のちのちまで記憶に残るし感動もする
その作用はなんなのだろう。
古典とは時代が変わっても面白いということで残るものという説もある
それはちょっと違うとも思うが
19世紀の
モーパッサンのベラ三や女の一生など今読んでも単純におもしろい
ディケンズモームもみな面白い
19世紀が古典かどうかという問題があるが
一応時を経て評価が定まり価値ありとされるものという定義でいけば20世紀も古典だ

こうした作家たちのものを味わいながら読んでいると
今どきの小説ではあきたらなくなる
文学とは偉大なものだ

名詩の紹介:『一点鐘』三好達治 昔高校の教科書に必ず載っていた昔を懐かしむ詩

『一点鐘』

 

靜かだつた
靜かな夜だつた
時折りにはかに風が吹いた
その風は そのまま遠くへ吹きすぎた
一二瞬の後 いつそう靜かになつた
さうして夜が更けた
そんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……

 

一時が鳴つた
二時が鳴つた
一世紀の半ばを生きた 顏の黃ばんだ老人の あの古い柱時計
柱時計の夜半の歌

山の根の冬の旅籠の
噫あの一點鐘
二點鐘

 

その歌聲が
私の耳に蘇生る
そのもの憂げな歌聲が
私を呼ぶ
私を招く

 

庭の日影に莚を敷いて

妻は子供と遊んでいる
風車のまはる風車小屋
――玩具の粉屋の窓口から
砂の麺麭粉がこぼれ出る
麺麭粉の砂の一匙を
粉屋の屋根に落し込む

くるくるまはれ風車……
くるくるまはれ風車……

 

卓上の百合の花心は
しつとり汗にぬれてゐる
私はそれをのぞきこむ
さうして私は 私の耳のそら耳に
過ぎ去つた遠い季節の
靜かな夜を聽いてゐる
聽いてゐる
噫あの一點鐘
二點鐘

**********************************

 

 
 
動画でもお話しています

 

三好達治は近代日本最大の本格的叙情詩人だ。

中原中也のような癖もない。

藤村のような古文調の575でもない。

立原道造のような女々しさもない。

普通の感性が、深く鋭く普遍性を持つに至った、そんな詩だ。

三好達治といえば「雪」が有名だが

あの2行は俳句のようであり近代詩の雰囲気はあまりない。

私のなかでは三好達治の数々の散文詩も好きだがこの一点鐘がベストですね

 

この詩は若いころに山小屋で聞いた真夜中の1時や2時になっていた柱時計の音を回想します。そのみずからの青春のすべてを山小屋の真夜中の柱時計の音が象徴しているのです。

しかし今やその季節は過ぎて、自分は昼の世界で妻と子と生きていて、子供たちは砂遊びをしている、でもふとした時にいまでも自分はあの一点鐘の音が聞こえるような気がする、自分はあの世界を妻と子に囲まれながらも忘れることはないし、離れてしまうことなどできないのだ、そんなふうな展開を見せるのですが、これはほぼすべての人に打てば響くテーマとして共感を呼ぶでしょう。実に巧みにそのあたりにころの機微が表現されいていると思います。

anisaku.hatenablog.com

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中原中也「帰郷」|おまえはなにをしてきたのだと故郷の風が語りかけてくる時

名詩紹介

帰郷


柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置(こころおき)なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う

 

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中原中也の詩は批評を受け付けない、そう思います。
基本的に叙情詩には批評の入る余地はあまりありません、そこにはいいか悪いかだけがあります。
この中也の詩は、帰郷した者の心象を、故郷の風景に照らし合わせながら見事に描き切っています、だから一枚の絵のような完全な形式美も持ち合わせています。
中原中の短めの詩はたいていこのような完成度の高い叙情詩になっているので
批評をする余地がありません。あえていえば、これらの詩を作り出した中原中也という人の心はこうであったろう、ああであったろう、というようなことなら言えます。
 
この詩の人物は若者のようにもみえ、年配者のようにも見え、普通の中年にようにも見えます。つまり帰郷する人々の心象を普遍化しているのですね。だからこそ、中原の詩は島崎藤村の詩よりも共感を呼ぶことが多いのだと思います。
 
 

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泥棒の夢を見た:文学日記

昨夜の夢だ。

ぼくの部屋は一階でベッドは窓際に置いてる。
そのサッシの鍵がかかっていなくて夜中に突然誰かが開けて
ぼくに挨拶するという内容だった。
とても驚いて目が覚めて なんだこれは?と叫んでいた。

夢というのは起きてすぐに言語化しないと忘れていくものだが
この夢は忘れないだろう
展開もシンプルだったし。

この夢を見た原因は最近ゴルフクラブを万一を考えて枕元に置いていることから来たと
思う。
泥棒対策にパターを置いたので
そんなことが頭の中でうずまき 実際に至近距離で泥棒が入ってきたのだろう
ちゃんと夢の中でパターを握りしめていたからある意味非常訓練だったのだな、きっと。